ゆきやこんこん

語彙力ないし文章も下手だけど、ただ自分の気持ちを言語化して整理するためのブログ。最近のお気に入りはSixTONES、KAT-TUN、逹瑯ソロ。鷹贔屓。

私と金沢。おまけでムック。

12年ぶりに金沢へ行った。
遠征自体は6年ぶり。

前回は長野→新潟→金沢というルートを鈍行で巡った覚えがあるけれど、12年の間に新幹線が開通して東京から2時間半で行けるようになっていて。
遠征ではなく普通に観光に来たいなぁ。
市場で食べたウニが美味しすぎて、絶対にまた来る!と心に決めた夏の午後。

観光自体は1日目が21世紀美術館、2日目が兼六園というベタなルート。暑くて兼六園をじっくり見られなかったのが心残り。次は春か秋がいいな。

さて。本題のムックちゃん。

思い返してみれば。
一度遠征して、気に入った場所というのは何回も行くものなんです。新潟、仙台、高知などなど。金沢もすごくいい街なのになんで12年もあいたかなぁ?

その疑問は入ってすぐに解決した。

そうだ。ものすごく、暑かったんだ…。

しかも、こう、自分が暴れて暑くなるよりも先に、人の熱気によって湿度が上がりものすごく蒸すという、一番苦手な暑さ、だった。

あーそうだったー!と思っているうちに、フォーリングダウンからライブはスタート。

ここでまた、これは失敗だったかもしれない、と思った。何故ならば、ここまでのセットリストを見返すと、大体1、2曲目を収録したアルバムがその日の中心になっていると感じていて。
そうなると1曲目の収録アルバムは思い出せない、2曲目は知らない。これはもう棒立ち決定ー!

実際にフォーリングダウンの後、フライトまで知らない曲が続いて。しかもなんだか突然大きな空間が表れて戸惑っていたら、みんな楽しそうにぐるぐる回りながらハイタッチし始めた!

おばちゃん異空間に飛ばされたかと思ったよ。

そのうえ私の前で両手広げて壁代わりになっていた女の子、途中で我慢できなくなったのか、その中に吸い込まれていったからね。

この空いた部分どうするんじゃー!

と、動揺しているうちにフライトが始まり、我にかえる頃にはまた知らない曲で。どうしよう。やっぱり私みたいな片足爪先かすってる程度の夢烏は来ちゃいけなかったんだ(´;ω;`)と思っていたら。

絶望キターーーーーーーーーーー\(^o^)/

前半の絶望感を吹き飛ばす勢いで絶望した!勝手に体が動くんだから慣れって怖いよね!
鎮痛剤も夜も、知ってるだけで十分!知ってる事実が大事!
ママは12年前も聞いたなぁ。母親の立場からこの曲を聞くと結構キツいものがある。

やっと知っている曲が増えてきて、よかった、やっとついていけるようになったとほっとしていたらまさかの流星、そして家路。

家路が毎回入っているのは知ってた。でも。この流れはズルい。ズルすぎるよ。

「朽木」で堕ちるところまで堕ちて、全てを吐ききって。「鵬翼」で少しずつ前を向けるようになった。そんな彼らが見上げた「流星」。

そして、どこか懐かしく、ふと口ずさめばあの頃に還れてしまいそうな、脆さと強さを併せもつ家路。

「君の空塞いだ僕を責めてくれよ見上げた空に今何を思う」
「君なら今の僕を見て何と言うのでしょう」

そんなに切なく優しく歌われたら何も責められない。
そんなに柔らかい笑顔で歌われたら何も言えない。

ずっと余韻に浸っていたかったけれど、激しい曲へ流れると共に本編もおしまいで。TONIGHTは、曲の背景が全く違うのはわかっているけど、なんだか終わり方が刻印を彷彿とさせ、彼らも意外とあんまり変わっていないのかな、なんて思ってみたり。

アンコールは良くも悪くもゆっけワールド全開な新曲。1997はセットリストを見た時に1979と見間違えてしまって、全然違ーう!と本気でびっくりした。

ラストのオルゴォルと蘭鋳、折角なので思う存分暴れさせていただきました。結果今現在首が痛い。懐かしいね、この痛み。


きっと私のような、新曲を買うでもない、ライブに通うわけでもない、たまに来ては棒立ちしていて、昔の曲になった途端に暴れ始める懐古厨は、今のムックを熱心に応援している方にとっては鬱陶しいことこの上ないと思う。

それでも私にもムックを愛してやまない時期があった。友達とムックの音楽性や方向性を真剣に語り合ったこともあった。

ほんの少しだけれども、まだ彼らを好きな気持ちが残っている私がライブに行くことをお許し下さい。

来年は20周年。久しぶりに何ヵ所か行きたいなと目論んでいます。