情報量に溺れる
春ですね。
桜もそろそろ満開?状態のまま気付けば葉桜になってしまって、今年はしっかりお花見した感があまりないなぁ。
さて。
人生の中で推しがジャニーズさんのみというのは初めての経験なわけですが。
今絶賛困惑中なこと。それは…
情 報 量 の 多 さ
それこそデビュー直後のKAT-TUNも推していたはずでなんでこんなにあっぷあっぷしてるかなぁと我ながら不思議に思ったけど、あれだ、昔はMUCCに比重おいてたからKAT-TUNはLIVEでペンライト振り回したり、音源聞いたり、音楽番組・ドラマ・レギュラー番組見たりしてた程度だったわ(いや、それなりにしっかり追ってる)
あとはやっぱりSNSの発達だよねー。今まではリアル友人としか繋がってなかったけど、公式諸々や大手垢さんをフォローさせてもらってから流れてくる情報量がエグい。みんなこれを追いかけてるのか。すごいな。とりあえず雑誌はあきらめたわ。無理。本当は昔みたいに片っ端から雑誌集めて切り取ってファイリングしたいけど、金銭的にも時間的にも無理。(ファイリングと言えばViciousって断トツで解体しやすかったよね?)
そしてSixTONESってあんまりTVで見るイメージなかったけど、こんなに色々やっててスケジュールどうなってるのとこちらが白目剥く勢いで活動されている。特にこの1ヶ月は毎週のように誰かしらの情報解禁があったし、北斗担なので北斗くんの話をすると、確か2月に「夜明けのすべて」が解禁された時に「やっと1つ」って言ってたよね?あといくつ隠し持ってるの?スケジュールどうなってるの?(大事なことなので2回言いました)
この情報量の中で出来ることといえば、リーボック履いてオールフリー片手にフェットチーネグミ食べるくらいだよね…ちなみにフェットチーネグミのことずっとフィットチーネだと思ってましたブルボンさんごめんなさい。
何にしても子どもたちの春休みが終わってくれないと何にもできないんだよなー。TVerの恋マジも結局7話までしか見てないし。ここからが面白いのに。
早く春休み終わってほしいなぁ。(長々書いたけど、今日1番言いたかったことはこれ)
新しい推しが一回り下のアイドルな件について
推しが引退して11ヶ月経った2022年9月。
この頃の私は長男の習い事に全力を注いでいて、これは他に趣味でも見つけないと長男を潰してしまうのでは?なんて迷いが生じていた。
そんなある日。
You Tubeを見ていたらオススメで表示されたTFTのImitationRain。You Tube見るたびに表示されるから一度見てみようかなと思ったのがきっかけ。
1回目→へー、SixTONESって歌上手いんだなぁ。このアレンジ素敵。
2回目→京本くん、よくこんな高音出るよなぁ。ジェシーくんと京本くんがメインなのね。
3回目→ねぇ、この下ハモ歌ってるの、誰?
えっ、下ハモの子、めっちゃいい声してない?誰だ?どの子だ?あ、この子か、松村くん。あ、もう1曲あるからこっちも聞いてみよ(Everlasting視聴)あ、こっちも上手いな。そしてやっぱり下ハモは松村くんだな。もっと下ハモがしっかり聞こえる映像ないかな?
→ここまで大体1時間。
そうして辿り着いたYTFのメドレー。あぁ、下ハモがよく聞こえる。
そしてNEWERA、…なんだこれ。なんだこれ。なんだこれ!!!
「全てを胸にのせて」の部分、最高すぎない…?
一通り動画を見終わった後、再びオススメに表示されたN○Kの某トーク番組を視聴。え、好青年。
「自分を和菓子に例えるならきなこもち。ラジオではちょっと癖があるからむせちゃうかも。」(ざっくりこんなニュアンスの話をしてた)
ほう。ラジオ。聞いてみようじゃないか。と色々検索して某ANNを視聴。
あれ?さっき見てた番組とは別人なのかな?さっきの好青年どこいった?てかフリートーク長っ!いや、面白い!
→ここまで大体1日。(ちなみに聞いたのはとろろ御膳親方の回)
翌日。
とりあえず松村くんがどんなキャラなのかはなんとなくわかった。
そういえば結構ドラマやら映画やら出てた気がするけど、何かさくっと見れる映画ないかな?とオススメを調べる。
あ、ライアーライアーね。森七菜ちゃんのこの金髪見覚えあるな、相手役松村くんだったのね。そういえば去年写真流出が云々って見たな〜(変なことは覚えてる無駄な記憶力)レンタルしよっ!
え?レンタル当日に3回見たよ?そしてそのままYou Tubeの僕僕とメイキングとライアーライアー鑑賞会を見たよ?はい、落ちた(完)
まとめると
①低音ボイス
②ラジオでの人格
③ライアーライアーのツンな透
の三段落ちでした、はい。これはTFT出?ライアーライアー出?たった2日間の出来事でした。
えー、こんな年下のアイドルにハマるなんて。アラフォーになって新たなジャンル開拓するなんて。と頭抱えたけど、まぁ、一回り離れてないからセーフ!なんてよくわからない基準を設けてみたりして。
でもよく考えたら私早生まれなので、松村くんとはぴったり12学年差😇
なんかね、上手く言えないんだけど。私こんなハマり方したのは人生で初めてで。本当にいきなりぼんっと落とし穴に落ちて抜け出せなくなった気分。あれから6ヶ月経つけどいまだに抜け出せないどころか更に深みに嵌まっていくし、これからどうなるのかわからなさすぎて恐怖しか感じない今日この頃。
追記
Twitterで沼に落ちる様子が呟いてあったので、まとめてみる。
9/6 「最近You Tubeでよく聞いてる」
9/20「ついに音源やら何やらに手を出した🫠FCにさえ入らなければまだ戻れる!はず!」
9/25「ANN初リアタイ。もっこり話がくだらなすぎて本当に推しでいいのか、今ならまだ引き返せるんじゃないかと小一時間。」
10/20「雑誌に手を出すとキリがないとわかっているけど…1冊くらいいいかな?」
11/3 「FC入った。もう戻れない。」(陥落)
推しがいなくなったあの日の記憶
忘れもしない2020年12月1日。
2020年と言えば今ではすっかりお馴染みとなってしまった新型コロナウイルスによるパンデミックでこれからの生活はどうなるのか、体力持て余した子供たちをどう扱えばいいのか、そんな日々に疲れ切って屍のように過ごしていた記憶。
そこへ突然飛び込んできた知らせ。
「SATOちMUCC脱退及びバンド活動からの引退」
この頃は次男がまだまだ手のかかる時期で、なんならそれは彼の特性によるものだったのだけれどそれはまた別の話。
とにかく子供のことにかかりきりで自分の趣味を楽しむ余裕なんてなくて、MUCCだって最後にLIVEを見たのは2017年6月の武道館だった。
なんでMUCCだけは変わらないと思っていたんだろう。
どうしてMUCCだけはいつでも好きな時に戻れると思っていたんだろう。
その後色々な媒体を確認してバンドの状況というか、その決断に至ったまでの流れを読んで何とも言えない気持ちになって。
だってどうしたってただのパワハラとしか思えなかったし、そもそもあの話をそのまま雑誌に掲載してしまうことに誰も疑問を感じなかったのか。
一方でファンレターが負担だったという内容にはあぁ、私も15年前はアホみたいに手紙書いてたし、お前はどんな立場なんだってくらい上から目線だったし、もう申し訳なさすぎて本当土下座したい気分よ。
でも、ファンレター嫌だったって言うけどさ。鵬翼追加の大阪だったかな?入待ちで手紙渡そうとしたけどちょっと場所が遠くて。「SATOちさん」って声かけたらわざわざ戻ってきて受け取ってくれたんだよ。
優しすぎたんだよ、SATOちは。
結局その後もLIVEには行けなくて、最後のLIVEも配信で見た。もうボロボロに泣きながらみたから、ある意味現場に行けなくてよかったかもしれない。
あぁ、これでもうドラムを叩くSATOちは見れない。私の1番の推しがいなくなってしまった。
と思ってたのに普通に会える距離にいるからずっこけたよね。なんか勝手に「引退してTwitterもなくなって茨城に帰っちゃうんだ」と思い込んでたから、トレーナー?中目黒?近っ!って衝撃受けたムッカーさん、多分そこそこいたはず。
ちなみにMiRO行ってみたいんだけど、MiROに行くためにまず痩せないといけない状態っていうね。いつになることやら〜
で。ここからずーっとムックを見る気になれなくて。逹瑯のソロは好きで聞いてるし、ムックの過去曲も聞いてるけど、3人になってからのムックはまだ聞けてない。友達がLIVEも誘ってくれるけどどうしても見る気になれない。
そんな後ろ向きな気持ちを変えてくれたのもまたSATOちなわけで。
先日のJack in the radioで「アレンはいい感じで前に出てこない」というSATOちの言葉で見てみてもいいなと思えたんだよね。
今度の鵬翼ツアー、暗い青春に触れてこようかな。
(そして自分の書いた文章読み返して思った。青春拗らせすぎwww)
2年と4ヶ月。
数年ぶりに体感したKAT-TUNとムックへの想いをぶちまけるべく開設したこのブログ。
確かにあの時の私はKAT-TUN個々の活動を応援するつもりだったし、ムックもまたライブ行き始めようなんて思ってましたよ。あの時までは。
2016年9月、恐怖のつわり到来。
そんなわけで、どうやら吐きつわり体質なせいでひたすら船酔いモードで4ヶ月過ごし、それからあっという間に次男誕生、現在一歳半。
とにかく体力おばけ。鉄棒ぶら下がりとでんぐり返しが大好き。
言葉はいくつか出ているものの、正直どこまで日本語が通じているのかさっぱり状態。
この時期には溢れるように単語を話し、お友達とのまったり砂場遊びが大好きだった長男とは何から何まで対照的すぎて、日々疲れきっております。
長男は小学生になり、親の目の行き届かない日々を楽しんでる。
正直幼稚園時代と比べてどの程度手を離すべきなのか悩んだところもあったけど、物理的に危険がない限りは本人にお任せ。
ちなみにまだKAT-TUNは好きなようで、たまにウォークマン(古)で聞きながら熱唱してる。
そんなこんなでまたぼちぼち書いていけたらいいなぁと思う今日この頃。
私と金沢。おまけでムック。
12年ぶりに金沢へ行った。
遠征自体は6年ぶり。
前回は長野→新潟→金沢というルートを鈍行で巡った覚えがあるけれど、12年の間に新幹線が開通して東京から2時間半で行けるようになっていて。
遠征ではなく普通に観光に来たいなぁ。
市場で食べたウニが美味しすぎて、絶対にまた来る!と心に決めた夏の午後。
観光自体は1日目が21世紀美術館、2日目が兼六園というベタなルート。暑くて兼六園をじっくり見られなかったのが心残り。次は春か秋がいいな。
さて。本題のムックちゃん。
思い返してみれば。
一度遠征して、気に入った場所というのは何回も行くものなんです。新潟、仙台、高知などなど。金沢もすごくいい街なのになんで12年もあいたかなぁ?
その疑問は入ってすぐに解決した。
そうだ。ものすごく、暑かったんだ…。
しかも、こう、自分が暴れて暑くなるよりも先に、人の熱気によって湿度が上がりものすごく蒸すという、一番苦手な暑さ、だった。
あーそうだったー!と思っているうちに、フォーリングダウンからライブはスタート。
ここでまた、これは失敗だったかもしれない、と思った。何故ならば、ここまでのセットリストを見返すと、大体1、2曲目を収録したアルバムがその日の中心になっていると感じていて。
そうなると1曲目の収録アルバムは思い出せない、2曲目は知らない。これはもう棒立ち決定ー!
実際にフォーリングダウンの後、フライトまで知らない曲が続いて。しかもなんだか突然大きな空間が表れて戸惑っていたら、みんな楽しそうにぐるぐる回りながらハイタッチし始めた!
おばちゃん異空間に飛ばされたかと思ったよ。
そのうえ私の前で両手広げて壁代わりになっていた女の子、途中で我慢できなくなったのか、その中に吸い込まれていったからね。
この空いた部分どうするんじゃー!
と、動揺しているうちにフライトが始まり、我にかえる頃にはまた知らない曲で。どうしよう。やっぱり私みたいな片足爪先かすってる程度の夢烏は来ちゃいけなかったんだ(´;ω;`)と思っていたら。
絶望キターーーーーーーーーーー\(^o^)/
前半の絶望感を吹き飛ばす勢いで絶望した!勝手に体が動くんだから慣れって怖いよね!
鎮痛剤も夜も、知ってるだけで十分!知ってる事実が大事!
ママは12年前も聞いたなぁ。母親の立場からこの曲を聞くと結構キツいものがある。
やっと知っている曲が増えてきて、よかった、やっとついていけるようになったとほっとしていたらまさかの流星、そして家路。
家路が毎回入っているのは知ってた。でも。この流れはズルい。ズルすぎるよ。
「朽木」で堕ちるところまで堕ちて、全てを吐ききって。「鵬翼」で少しずつ前を向けるようになった。そんな彼らが見上げた「流星」。
そして、どこか懐かしく、ふと口ずさめばあの頃に還れてしまいそうな、脆さと強さを併せもつ家路。
「君の空塞いだ僕を責めてくれよ見上げた空に今何を思う」
「君なら今の僕を見て何と言うのでしょう」
そんなに切なく優しく歌われたら何も責められない。
そんなに柔らかい笑顔で歌われたら何も言えない。
ずっと余韻に浸っていたかったけれど、激しい曲へ流れると共に本編もおしまいで。TONIGHTは、曲の背景が全く違うのはわかっているけど、なんだか終わり方が刻印を彷彿とさせ、彼らも意外とあんまり変わっていないのかな、なんて思ってみたり。
アンコールは良くも悪くもゆっけワールド全開な新曲。1997はセットリストを見た時に1979と見間違えてしまって、全然違ーう!と本気でびっくりした。
ラストのオルゴォルと蘭鋳、折角なので思う存分暴れさせていただきました。結果今現在首が痛い。懐かしいね、この痛み。
きっと私のような、新曲を買うでもない、ライブに通うわけでもない、たまに来ては棒立ちしていて、昔の曲になった途端に暴れ始める懐古厨は、今のムックを熱心に応援している方にとっては鬱陶しいことこの上ないと思う。
それでも私にもムックを愛してやまない時期があった。友達とムックの音楽性や方向性を真剣に語り合ったこともあった。
ほんの少しだけれども、まだ彼らを好きな気持ちが残っている私がライブに行くことをお許し下さい。
来年は20周年。久しぶりに何ヵ所か行きたいなと目論んでいます。
息子とKAT-TUN
4歳の息子。
一緒に山猫を見ていたら、いつの間にか息子の方がハマってた。
UNLOCKをデタラメな英語で歌い、ファンタスティックと言いながら舌をペロッとし、挙げ句ライダース(ユ○クロ)+ニット帽(ト○ロ風)+サングラス(星の形)+ビーサンというコスプレを自主的に披露。
ちなみにUNLOCK熱唱とファンタスティックは幼稚園でもやっているそうで(アタマガイタイ)
そんな息子を見ながら思ったこと。
ジャニーズは女性と子供向けコンテンツである。
いやぁ、よくできてますね。
私も生まれて初めて買ってもらったCDはパラダイス銀河だった。
ドームのド派手なUNLOCKを息子にも見せたいから、早くDVD化してほしいなぁ。
充電完了してもまだ好きなようならコンサートにも連れて行こうかな。
そして今直面しているのが子供であるが故の率直な疑問。
「KAT-TUNは6人いたの?なんで減っちゃったの?飽きちゃったから?」
「(たぐちくんを指して)この人もやめちゃったね。イヤになっちゃったの?」
君も20年後にはわかるかもしれないね、大人の事情ってやつがさ。
私とムック
ムックに出会ったのは…いつだろう?
気付けば知っていたけれど、はっきりと認識したのは赤盤青盤の頃。
知ってはいたけれど、当時の私は「密室系だけは手を出してはいけない。人として越えちゃいけないラインだ。」と思っていて(ある意味正しかった)。
結局初めて見たのは我のツアー最終日(たぶん)のZeppTokyo。
それまでPENICILLIN一直線だった私はライブと言えば手扇子かヘドバンが当たり前、前日のヘドバンで筋肉痛になったら次の日のヘドバンで治す!そんな生活を送ってた。
そんな私には当時のムックのライブは物凄い衝撃で(だって人の上を人が転がってるんだよ!)。なんて面白い世界があるんだ!と開眼。朽木ツアーからはもうどっぷりハマってしまった。
今思い返せば、大学のサークルを辞めた+2年生までに選択の単位がほぼ揃ったという、ちょうど暇な時期に入っていたわけで。大学3、4年はムックに捧げたと言っても過言ではないかもしれない。
ちょうどその頃のムック、アルバムで言えば朽木~鵬翼あたり、病んで病んで落ちきったところから少しずつ光が見えてきた、そんな時期。自分の置かれた学生から社会人への過程と通じるものがあって、アルバムだって何回聞いたかわからないし、歌詞もすべて読み込んで「これは何を言わんとしているのか」なんて考えたりしてたな。
そんな時期を経て社会人になり、結婚し、子供が生まれ。やはり徐々に聴く機会も観る機会も減っていき、今ではツアー最終日に1回行く程度。ゆるーく見守っている、そんな状況です。